ぼさみの地元時代【幼少期~高校編】
こんにちは〜!ぼさみです。
今日は、ぼさみが地元にいた幼少期から高校時代のお話です。
最後まで読んでいただけると嬉しいです♪
人の集まる所が大嫌いだった幼少期
私はずっと自分に自信がないまま生きてきました。
どちらかと言えば人当たりがよく明るい方で、友人には恵まれてきたと思います。
だけど、根本的にはネガティブ思考満載でした。
幼少期からかなりの人見知り。
人前で何かをすることが苦手で、親戚の集まりにも極力参加したくない。。。そんな子供でした。
両親ともに兄弟姉妹が多く、とくに父には10人以上の兄弟姉妹がいるため、父方の実家には本当に行きたくなかったです(^^;)
小学校就学前だったと思いますが、叔父の初盆で父の実家へ行くことになりました。
行きたくないと駄々をこねる私に母は
夜には帰るからね。
と言うので信じて渋々ついて行ったのに、もう少しで到着するというところで
今日は泊まるよ。
と言ったんですよ~!
騙されたー!!!
と知った瞬間ギャン泣きでした(^^;)
「帰るー!!!」と大号泣したことと、騙されたショックは今でもハッキリ覚えています。笑
そこから大人に心を開かない子供になりました。笑
親戚の集まりが超苦手だった理由は、幼少期からおデブ体型だったため大人たちが容姿についてズケズケ言うからです。
また、おっちゃんやおばちゃんが私の身体のこと何か言うんかなぁ。。。
親戚多くて覚えれんし嫌なことばかり言われるから行きたくないなぁ。。。
って、いつも思っていました。
お正月の集まりも一切顔を出さなかったため、喜んで親せき宅へ行く弟と比べてお年玉は少なかったけど、圧倒的に
苦手意識>>>>>お年玉
だったんです。笑
子供心にやっぱり傷つきますからね(´;ω;`)
ちなみにお年玉について母は
うちはみんなの分を(弟に)託けてるのに。。。
と、面白くないようでした。笑
転校生に話しかけることが出来なかった小学生時代
人見知りについては、小~中学生時代がピークだったかも?
田舎の1学年1クラスしかないような状態でも、いきなり知らないお兄さんやお姉さんがいることに割とストレスを感じていたように思います。
そして、上級生男子に容姿をからかわれる日々なわけですよ(^^;)
毎日つらいとまでは思わなかったけど、自己肯定感の低さは蓄積されていきました。
小1の途中だったかな?
転校生(女子)がやってきたんだけど、みんながどんどん話しかける中、私だけ
ぜんっぜん話しかけれなかった
んです(^^;)
最終的には彼女の方から話しかけてきてくれて、一番の仲良しになりました♪
人気者の彼女と仲良くなったことで、みんなの嫉妬を買ってしまった。。。笑
この人見知りについても結局は自分に自信がなくて
話しかけて嫌な顔されたらどうしよう。。。
私なんかが話しかけたら迷惑なんじゃないかな。。。
という、自己肯定感の低さからきていたんですよね。
卑屈さMAXだった中学生時代
私の地元時代の中でも、中学時代はかなりの暗黒史でした。
もし今の記憶のままやり直せるとしたら、迷わず中学時代を選ぶと思います。
ここで大事なのは、今の記憶を持ったままですよ!じゃなかったら、多分同じことを繰り返すから。笑
中学校って先輩後輩の上下関係が厳しくて、運動不足に所属していたためそれは顕著でした。
基本的には優しく接してもらっていましたが、1歳2歳違うだけでなぜこんなにも違うんだと。笑
校則についても意味不明さがダントツで、バレー部顧問にいきなり髪を切られたことがあり
今だったら確実にコンプラ的にアウトだよね
と、本音を言えば今でも根に持ってる。。。と言いたいけど、こうしてネタにできるから許したろ!笑
そして、中学でも先輩や同級生男子に容姿をからかわれるわけですよ。
そこに思春期ということも加わって中学時代の私は卑屈さMAXでした(^^;)
とにかく素直じゃなく意固地だったし、提出物をさぼったりと態度が悪かったので内申書はめっちゃ悪かったです( ̄▽ ̄;)
高校受験のときも担任から
お前は試験結果だけならいいけど、いかんせん提出物を出さないからな。
これでは内申が悪すぎて志望校は無理だぞ。
と言われてしまったダメダメ人間です(^^;)
当時は深く考えていませんでしたが、今思えばアホすぎて我ながら腹立たしい。。。笑
私の場合、当時流行の積木くずしとかグレるとかでは全然なくて、拗(す)ねる、拗(こじ)らせる感じで一見普通の子ではあるけど、中身はとてもひねてて素直じゃなくてタチの悪い子供でした。
あ、拗ねるも拗らせるも漢字一緒やん。笑
あと、軽いイジメもありました。
それについては、私自身にも原因があるため彼女たちを責めるつもりはありません。
ただ、当時は無視されるだけではなく、靴にゴミが入れられたりもあったので
陰湿なことするもんだな
とは思っていたし、あるときは呼び出されて行ってみると、数名で私一人に色々と言ってきたので
多勢に無勢で卑怯なり
と思っていました。笑
幸いだったのは、本当に一部の数名だけで友達は普通にいたことです。
お互いの誤解や行き違いもあったし、前述したように私自身にも原因はあったので、思春期女子あるあるだと思っています。
内容がそこまで酷いものではなかったので、今、こうして書けるというのも幸いです♪
彼女たちとは和解をしているし、同級生として会えば普通に接しますよ^^
ただ、中学時代って楽しい思い出よりも息苦しい思い出の方が多かったので、やり直せるなら中学時代一択です!笑
かなり楽になった高校時代
さて、内申書が悪すぎたためにがっつり地元の高校に進学したぼさみです。
この高校は地元も地元、超地元だったため、同級生だけでなく先輩後輩もほとんど同じメンツでした。
そして、ほぼほぼ同じメンツにもかかわらず
先輩後輩の関係が違い過ぎる!!!
中学の厳しさっていったい何だったんや???
と、高校生になっただけで全然変わってて、驚きを隠せませんでした。笑
上下関係の厳しさはなくなったし、あからさまに容姿をからかわれることもなくなりました^^
陰口とかはあったかもしれないけど、あからさまに言われることはなくなったのでとても過ごしやすくなりました♪
とはいえ、蓄積された自己肯定感の低さが簡単に消えることはなく。。。
人見知りというか人前で何かをするというのは相変わらず苦手だったんですよね(^^;)
仲の良い同級生と一緒に何かをすることはあったけど、自分から率先して行動することは皆無だったので、今のぼさみを知ったら驚くかも?笑
と書きましたが、生徒会役員に立候補したことを思い出しました!
結果はあえなく落選しましたが、正直
1票も入らなかったらどうしよう。。。
立候補なんてするんじゃなかった。。。
と、めちゃめちゃ不安だったので、票が入っていただけで嬉しかったです♪
ただ、なぜ立候補したのかはまったく覚えてないんですよね〜笑
自分からすすんでしたというのは覚えてるけど、そのきっかけになった理由は全く記憶になく。。。ま、40年近くも前のことですからね。笑
当時は地元ではない高校に進学したかったけど、気心の知れた同級生と和やかに青春時代を過ごせて、今思えば地元で良かったと思います。
中学とは違う意味で戻りたいな~って思います^^
最後に
細かいエピソードはまだまだありますが、幼少期~高校までどのような子供だったかをざっくりとまとめて書きました。
田舎って良くも悪くも知り合いばかりで良い悪いに関係なく、何かしたらすぐに知れ渡ります。
それこそ、ネットはなくSNSなんてない時代なのに、知れ渡る速度は
光回線よりはるかに早い!!!
んです!( ̄▽ ̄;)
正直、そういうのが居心地悪くて息苦しくて地元を離れましたが、30年近くたって戻ることになるとは。。。これもまた人生ですね。笑
自己肯定感の低さは、幼少期に周りから植え付けられたものがどんどん蓄積されて頑固汚れのようにこびりつきました(^^;)
それに本当に気づくのは50代を迎えてからで遅いといえば遅かったんですが、それが自分にとってのベストタイミングだったんだと思います。
良い悪いではなく、そういう幼少期があったからこそ今があるので
この世で起こることは全部必要なことなんだな!
って、心から思います^^
今でこそポジティブだと周りから言われる私にも超ネガティブな暗黒時代がありました。
でも、人は変われる!
このブログでは、自己開示も交えながら人生を豊かにするためのヒントをお伝え出来たらと思っています♪
ブログの感想、お問い合わせ、ご意見などございましたら、コンタクト(お問い合わせ)フォームからお気軽にご連絡くださいね^^
ここまで読んでいただき、ありがとうございます♡
ではでは、またお会いしましょう!はぴすま☆〜(ゝ。∂)